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【感想】蟲師 第三話 柔らかい角

雪の降り積もる音が好きだ。先月末、東京に雪が降り積もった時、朝から雪の降る音を聞いた。はらはらと降る雪の音は、南国育ちの私にとって物珍しく、それだけに心くすぐられるものなのだ。今回はそんな雪の降り積もる山里を舞台とし、“耳”と蟲をめぐって話が展開する。前回の“目”の話に続いて、人間の体と蟲という組み合わせは生理的嫌悪感を催すが、作者の意図はそれだけに留まらないのだろう。
そこには生命に対する畏怖、つまり命あるものの不思議さを観る者に提示するとともに、人間と自然との共生、人間と他の生物との共生のあり方を問いかけているように感じる。
おそらく第二話もこの第三話も描かれている蟲は寄生虫をベースとしている。寄生虫は現代以前の日本において人間にとっては身近な存在であったし、「かつての(と仮定される)日本」を舞台とする蟲師の世界で彼らの存在を描くことは筋が通っているように思う。
寄生虫はいないに越したことはない存在ではあるが、現代以前の日本人、あるいは当時の人間全般を考える上では欠くことのできない存在なのではないか。人とその他の生物が密接に関わっていた一つの事象としても、病という人間とは不可分な事象を考える上でも。

また蟲師とは何らかの形で蟲に関わった人々と接する役柄であり、普通の人間には見ることのできない蟲という対象に向き合うことから、ある種の呪術師と捉えることもできるだろう。ギンコが自身を蟲を呼ぶ体質と語っていたのも蟲師の特殊性を物語っているように思う。
去年の十二月私が通っている大学で「病と祓」というシンポジウムが催され、それを聴講したことがあるのだが、前近代の世界においては医術と呪術は不可分な関係にあったと聞いた。蟲師もまた呪術師と医者との間に位置しているように思えてならない。

さらに蟲師でギンコと対峙するのは第一話から第三話にかけてすべて子どもであったという点も見逃せない。普通の人間には見えない蟲に関わるのが子どもであるということは、「七つまでは神のうち」という言葉があるように、子どもの方が蟲と交わりやすいということなのだろうか。とはいえこれは第三話まで観た所感なので、今後変わっていってしまうかもしれないが。
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夕星桔梗

Author:夕星桔梗
元日本古代史ゼミ所属。作家志望のアマチュア物書き。

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