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【感想】古都浪漫こころ寺巡り 第9話 随心院(京都)@BSフジ

第9話 随心院(京都)
12月6日放送

 平安時代を代表する歌人であり、絶世の美女と謳われた小野小町ゆかりの寺、京都・山科にある真言宗 大本山・随心院(ずいしんいん)。
 小野小町はかつてこの地・山科で暮らしたと伝えられており、小町に想いを寄せた深草少将との間には悲しい伝説が残されている。
 随心院は、平安時代中期、弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海(にんがい)によって創建された。仁海は、またの名を雨僧正(あめそうじょう)。秘伝の雨乞いの祈祷によって、宮中で絶大なる信頼を得、随心院はやがて 門跡寺院となる。書院の中には、数々の狩野派の障壁画が飾られ、門跡寺院たる威風を感じさせる。
 門跡寺院としての格式と世界三大美女の一人、小野小町の恋物語。2つの顔を見せるこの寺のこころに迫る。
番組公式HPより) ※一部記述に誤りがあったので訂正させていただきました。

京都山科といえば、古代史を学んでいる人間にとって真っ先に思い出されるのが天智天皇の山科陵です。
今回の舞台となる随心院は、その山科に佇む真言宗大本山のお寺。
この随心院は摂関家にゆかりのある門跡寺院として栄え、その名残は勅使門と呼ばれるお寺の門や、門跡寺院にのみ認められた定規筋の入った壁に見受けられます。


ご本尊は如意輪観世音菩薩坐像。輪王座とよばれる座位、つまり衆生をどのように救おうか思案しているお姿は気品に溢れています。
それから快慶の作と云われる金剛薩捶坐像も魅力的です。金剛薩捶は密教特有の仏様なのだそう。快慶の端正で繊細な作風が見て取れます。
二体ともはっとするような美しさをたたえていて、TV越しではありますが、久しぶりに仏像を拝んだ身としてはありがたいなぁという気持ちになりました。
随心院公式HPに画像が載せられているので、そちらを参照してください。

さてこの随心院は仁海(にんがい)という空海から数えて8代目のお弟子さんが建立したそうです。

仁海僧正は深く宮中の御帰依を受け、勅命により、神泉苑(京都御池大宮西)に請雨の法を九回もおこない、その度に霊験にあって雨が降ったので、雨僧正とも称されました。(随心院公式HPより)

当時は悪天候が神々による祟りによるものとされていたのだそうです。雨乞いの儀式を行い、見事成功させた仁海は、当時の人々にとって仏法の体現者に見えたのでしょう。その噂は中国にも伝わったのだとか。国家仏教と称されるほど、国家にとって仏教が重要な意味を持っていた時代ならではですね。
その仁海の母にまつわるエピソードがこちら。

古くは牛皮山曼荼羅寺と称されました。
   仁海僧正一夜の夢に、
   亡き母が牛に生まれ変わっていることを見て、
   その牛を鳥羽のあたりに尋ね求めて、飼養しましたが、
   日なくして死に、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を画き
   本尊にしたことに因んでいます。
 牛尾山は仁海僧正が牛の尾を山上に埋めて、菩堤を弔ったと伝えられています。(随心院公式HPより)

このエピソード、以前どこかで読んだことがあるような……と思っていたら、赤江瀑の「恋牛賦」(『ポセイドン変化』収録)でした。記憶違いでなければ、ですが。
赤江瀑も随心院を訪ねたことがあるのかな、と想像してしまいました。
少なくともこの随心院が作品のモチーフになっていることは確かなのでしょう。

その後、応仁の乱による荒廃を経て、豊臣秀頼ら関白家の力によって随心院は復興されました。
寺内の障壁画は狩野派の手によるものだということで、当時どれほど随心院が権勢を誇っていたか窺い知れます。
僧侶の方はそれをいかに保護し、後世に伝えていくかと苦心なさっておられましたが、ごもっともですね。
大事な日本の宝、守り抜いていただきたいです。
近年では「だるま商店」という二人組のユニットが随心院の障壁画の一枚を描いているとのことで、こちらも要注目ですね。
伝統的な美と現代とが融合した鮮やかな絵でした。

ところでこのお寺は小野小町にゆかりがあるということで、境内には小野小町が化粧に使ったという「小野小町化粧(けわい)の井戸」や小野小町が自分宛に送られてきた恋文を埋めたという「文塚」、そしてその恋文の一部を張り子にした「小野小町文張地蔵尊像」まで遺っているそうで、和歌好きな私としては心惹かれずにはいられませんでした。

小野小町といえば「深草の少将の百夜通い」が有名ですね。
小野小町に惚れ込んだ深草の少将は、小野小町に一目逢おうと恋文を送ります。恋文には飽いていた小野小町ですが百夜、伴をつけずに一人で自分の元へ通うことを求めます。深草の少将は九十九夜、小野小町の元へ通いますが、百夜目の夜、ついに彼が小野小町の前へ現れることはありませんでした。番組では病と寒さにより力尽きた、と説明されていましたね。私が聞いたことがあるのは凍死によるものでした。

いずれにせよ想いを遂げられなかった小野小町の悲恋は、彼女が絶世の美女であったことも相まって、現代に生きる私たちの心にも響くものがあるようです。
番組では彼女に夢を詠んだ歌が多いのも、叶わぬ恋、逢えぬ人を想うがゆえと紹介されていました。
小野小町の詠んだ歌といえば「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」は有名ですね。
他にも「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」も番組に登場していました。
こちらも人口に膾炙した歌ですが、絶世の美女だからこそ映える歌だなぁ……と思ってしまいます。
そんな彼女のもの悲しさが何とも魅力的なんですよね。
中国の絶世の美女であった楊貴妃も悲しい最期を遂げていますし、美女と悲哀はよく似合うのかもしれません。

ところで随心院の梅は「はねずの梅」と呼ばれるそうです。
「はねず」とは唐棣(はねず)色のことで、白みをおびた淡い紅色を指すとのこと。
この「はねず」にちなんだ「はねず踊り」が随心院には伝わっています。
深草の少将の百夜通いを歌った歌とともに踊られるものですが、そのストーリーは前記したものとは違い、百夜目に深草の少将とは別人の男が小野小町の前に現れる、という筋書きになっています。
踊るのは地元の小学生の女の子たちだそうで、それ以前は地元の子供たちが家々を回って踊っていたのだそう。
一時期は途絶えてしまっていましたが、昭和48年、地元の人たちの手で復興されたということです。
これからもずっと受け継がれていくといいですね。


そして今回は随心院だけかと思いきや、和泉式部ゆかりのお寺、誓願寺も併せて紹介されていました。
詳しくは誓願寺公式HPを参照してください。
私が気になったのは、彼女が娘を失ったことをきっかけに石清水八幡宮を訪ねた際に夢に老僧が現れて「誓願寺で極楽往生を願いなさい」というお告げを受け、さらに誓願寺に四十八日の間籠もり、念仏を唱えていると再び夢で「南無阿弥陀仏と称えれば、女人往生間違いなし」というお告げを授けられたというエピソードです。
古代人と夢に関しては西郷信綱氏の著名な研究があり、一読いたしましたが、やはり古代人にとって夢は霊験の現れる場でもあったのだなぁと感じました。
さらに当時は女性は変成男子、つまり男性にならなければ成仏できないとされていました。
番組では和泉式部が誓願寺で出家し、無事に極楽往生を遂げたことで、誓願寺が女人往生の寺として信仰を集めたと紹介されていました。
和泉式部といえば百人一首の「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」が有名ですね。
何とも情熱的な歌は彼女の生き様を表しているようです。 
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夕星桔梗

Author:夕星桔梗
元日本古代史ゼミ所属。作家志望のアマチュア物書き。

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