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梅沢 伊勢三『古事記と日本書紀の検証』

古事記と日本書紀の検証古事記と日本書紀の検証
(1988/06)
梅沢 伊勢三

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古事記および日本書紀の成立やその史料としての性格を学ばずして記紀神話は語れない、ということで、手始めに読んでみたのが本書である。
帝紀・旧辞の問題に関しては未だ定説を見ないとゼミ教授から伺ったので、これ一冊を読んで満足してはなるまいと思っていたのだけれど、論旨明快、極めて簡潔に古事記および日本書紀の性格について書かれた良書だった。

まず著者は古事記が日本書紀の資料として用いられたとする旧来の説を否定する。
古事記と日本書紀は共通の資料――帝紀と旧辞を元に書かれた二つの異伝であった。
だが古事記は音訓交用の文体、日本書紀は漢文的表記によって書かれている。両者の表記方法は奈良時代において平行して存在しており、古事記に見られる音訓交用の文体は帝紀・旧辞の漢文風な古伝記述への批判によって生じたと著者は説く。

一見、古事記の文体は古来からの口誦に基づく文体であるという印象が強いため、古事記の方がより帝紀・旧辞の旧態を留めていると考えてしまいがちだが、著者は日本書紀が引用している古文献に通じている人でなければ古事記を製作することはできなかったと考えている。

さらに古事記の撰者は「削偽定実」、つまり撰者の意図や理念や判定に合致しないものは容赦なく削除し、撰者の立場からの認定に適合するものを「正実」として決定したと著者は指摘する。
一方日本書紀では「記定」を基本的な方針とし、旧存の帝紀を国史として記し定めた。
また古事記が諸説統合定実主義なのに対し、日本書紀は諸説集成存疑主義という撰述理念の違いがあったと強調している。つまり、古事記はあくまでも一つの本伝正伝を決定しようという態度であるのに対して、日本書紀は「一書」に見られるように諸説を網羅集成して、決定困難なものはその判断を後代に残すという態度を取ったというのだ。
よって両者の記述の相違は、「日本書紀に見られるような雑多な旧説の不統一と矛盾を除き去ったのが古事記の説である」ために生じたものだと著者は主張している。

よって旧資料(帝紀・旧辞)の方向を受けつぎ、その原形を残しているのが日本書紀であり、この資料への批判是正を目標として作られたのが古事記であると著者は結論づける。

なお古事記と日本書紀の国家観の違いは、古事記が氏族的血縁国家であるのに対し、日本書紀は官僚的国家という方向性を持っていたと著者は記している。
古事記が日本書紀よりも天皇の生子の数が多いこと、後裔人物の記載が多いこと、後裔氏族の皇室との結びつきが圧倒的に多いことから、皇室を宗家とする血族国家の構造が古事記にはあったというのだ。

また注意しておかねばならないのは、古事記が過去を語ることによって強く現在を規制し、将来をも律しようという意図をもっていたという点である。
古事記とは漫然たる古伝の書に止まるものではなく、旧存「帝紀」的な所伝を踏まえつつも、さらにそれを越えた独自の国家観を構成し主張しているのである。

以上、本書の要旨をまとめてみたが、これに基づく記紀の三輪山伝承の考察は卒論で書くことにするので、ここでは触れないでおく。
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夕星桔梗

Author:夕星桔梗
元日本古代史ゼミ所属。作家志望のアマチュア物書き。

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