FC2ブログ

屍者の帝国 付随メモ

むしろこっちが本題かもしれない、という映画版「屍者の帝国」を鑑賞して考えたことメモ。
映画に関係することだったりしないことだったり。


・魂が欠如した存在が魂を求めるSF作品といえば攻殻機動隊なども筆頭に挙げられるけども、では魂だけの存在が肉体を語る、あるいは肉体と魂を持ちながらもそれらが乖離している人間の内面性に踏み込んだ作品を作ることは可能かどうか。

我々は(少なくとも健康であるならば)普段肉体というものを意識しない。なぜならば肉体というものは病や怪我によって損なわれた場合にのみ意識の俎上に登るものだから。
あるいはセックスや運動や肉体労働という肉体的体験でもなければ、普段意識する人は少ないはず。
肉体と精神が乖離している人間、というのはたとえば私のように精神疾患を抱えている人間は自分の精神状態ばかりに目が行きがち。(というと肉体的表現のように思えるけども慣用句という冗談)というか日常生活の九割を精神に支配されている。
あるいはPSYCHO-PASSなどは人間の精神状態を数値化した世界、というある意味精神に重きを置いたSF作品に仕上がっているので、再度見直すのもいいかも……?
最近だとhttp://www.rbbtoday.com/article/2015/10/30/136638.htmlのニュースが気になるところ。

・古代中国SFがそろそろあってもいいのではないか
 いや既にあるのかもしれないけれど。ネタとしては面白いかな、と。
 読者として観客としてそういうものがあるなら読んでみたいし観てみたい。
 というか四大文明SFアンソロとかあったらください。

・うなじに異物を差し込む行為
攻殻機動隊でももはやおなじみのアレ。やはり首というのは頭に近いこともあってか、映像や画像(文字情報として受け取るもの含む)としてのインパクト性もあるためか、うなじというのは魂にとって重要なポイントなのかもしれない。

・目に見えない魂を緑の光で蛍火のように描くということ
これはいかにも日本っぽい映像表現だなぁと感じた。蛍が人魂にたとえられるようになった例はいつ頃からあるんだろう? 万葉集とかにすでに見られる気がする、という予想。


2015.11.21 追記 朝になってみて冷静に考えたこと。
・うなじの件
うなじに打ち込むっていうのはおそらく脊髄が関係しているのかなぁと思った。

・死者(というか死体)を明確に描いた文学作品として真っ先に浮かぶのは大江健三郎の「死者の奢り」。影響関係があるのかどうかは『屍者の帝国』(原作)を読んでいないので現時点で不明。とはいえ、あれほど克明に死体とそれに向き合う人間の姿を描いた作品は、死者を死体という形で極めて物質的に扱っていることから考えても珍しいのではないか。

以下、「死者の奢り」の冒頭部分の引用。

 死者たちは、褐色色の液に浸って、腕を絡みあい、頭を押しつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている。彼らは淡い褐色の柔軟な皮膚に包まれて、堅固な、馴じみにくい独立感を持ち、おのおの自分の内部に向かって凝縮しながら、しかし執拗に体をすりつけあっている。彼らの体は殆ど認めることができないほどかすかに浮腫を持ち、それが彼らの瞼を硬く閉じた顔を豊かにしている。揮発性の臭気が激しく立ちのぼり、閉ざされた部屋の空気を濃密にする。あらゆる音の響きは、粘つく空気にまといつかれて、重おもしくなり、量感に充ちる。
 死者たちは、厚ぼったく重い声で囁きつづけ、それらの数かずの声は交じりあって聞きとりにくい。時どき、ひっそりとして、彼らの全てが黙りこみ、それからただちに、ざわめきが回復する。ざわめきは苛立たしい緩慢さで盛り上がり、低まり、また急にひっそりする。死者たちの一人が、ゆっくり体を回転させ、肩から易之深みへ沈みこんで行く。硬直した腕だけが暫く液の表面から差し出されており、それから再び彼は静かに浮かびあがって来る。

スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

夕星桔梗

Author:夕星桔梗
元日本古代史ゼミ所属。作家志望のアマチュア物書き。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
twitter
Booklog
カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR