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【音楽鑑賞】Masakatsu Takagi Concert 2015 Yama Emi

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昨日は先輩からチケットを譲っていただいて、彼氏と高木正勝さんのコンサート「山笑み」へ。

全二日間の公演で、一日目を見にゆかれた先輩が苦言を呈しておられたので、ちょっとひやひやしていたのですが、二日目はといえば……もう、最初から最後までずっと泣いてました。

私は普段音楽を聴いて泣くような人間ではないんですが、このたびばかりは数年前、根津美術館に中世の日本の水墨画を観に行ったときにずっと涙が溢れてきて止まらなかったことを思い出しました。

両者に共通するものが何なのか、私にはわかりませんが、感覚としてはとても近しかったように思います。彼氏もちょうどその時のことを思い出したみたいで(根津美術館の展示も一緒に観に行ったので)「あれといっしょだったよね」と云っていました。

高木さんの音楽はTai Rei Tei Rioまでしか聴いていなかっただけに先入観もなく彼の音楽が耳に入ってくるのと、スクリーンに映し出された数々の映像の効果も相まって、それはそれは涙腺を刺激されたのでした。

中でもすばらしかったのは「山笑み」にふさわしい「おおはる」「かみしゃま」そして「山咲き唄」。
兵庫県の山村に移住して二年になるという高木さんの、生活の中で感じたままの音が表現されているだけでなく、高木さんの周囲の人々(村人のおじいさんやおばあさん)の日々の暮らしまで伝わってくるようでした。
コンサートの中で、高木さんは彼らに少しでも返せるものがあれば、と云っていたのが印象的でした。

私は幼い頃長崎の片隅の田舎で祖母の元で育てられたので、そこに根付いた人々の素朴な信仰(幼い頃はお地蔵様の前を通るたびに手を合わせなさいと祖母に教わっていましたし、一年前ふるさとに帰ったときには水神さまを祀った小さな石碑や人目につかないような祠にも花やお酒が供えられていたことに気づきました)が私の根底に流れていると思うんですが、それはおそらくちょっと昔の人々に共通した意識だったと思うのです。

今回のコンサートを聴いて、その素朴な信仰を目の当たりにしたような懐かしさを思い出してしまったのでしょうね。
村人に教えてもらったという新潟県は佐渡の音頭を演奏するシーンもあり、それは高木さんにとってとても自然なところに行き着いた結果だったのかな、と思いました。
高木さんには音楽をつくる上で宗教的な意識はないそうなのですが、彼の表現したいものはある種の祈りであり、アニミズムなのだと思いました。

そして今回は様々な民族楽器を使用していたこと、そして歌い手の女性(民謡風の歌い手さん)がアイヌ民族の衣装を纏っていたこと(それが何を意味するのか私には判断がつきかねましたが)、それから映像のなかにアフリカの子どもたちを映し出していたことから、高木さんの「人間の原点に帰っていこう」という方向性を垣間見たような気がしました。

それは云い換えてしまえば単なる文明批判なのかもしれませんが、彼の音楽には肩肘張った主張はなにもないんですよね。ごく自然に、肩の力を抜いて一歩ずつ自然へと回帰していく。
それは人間に対する自然ではなくて、自然の一部としての人間へと帰ってゆくのです。それも自然な流れで。
それを彼氏は「文人のようだ」と評していました。(陶淵明の帰去来の辞とか白居易が山村で近所の老人たちにも分かるようにと詩を書いたこととか、蘇軾が東坡肉を作って近所の村人に振る舞ったとかいろいろ話していましたが、門外漢の私はただふむふむと聞くばかりでした)

音楽って理屈で聴くものではないし、信仰もまたしかりだと私は思っているのですが、今回のコンサートはそれらのひとつの形として完成されていたなと感じました。本当にすばらしい「音楽体験」をさせていただいたなと思っています。
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夕星桔梗

Author:夕星桔梗
元日本古代史ゼミ所属。作家志望のアマチュア物書き。

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