FC2ブログ

長崎寺社巡礼 弐

興福寺門

続いて興福寺へ。

興福寺は、国内最初の黄檗禅宗の唐寺でその由来は古く、中国・明の商人が長崎と行き来を始めた頃に渡来した中国人が、1620年ごろ航海安全を祈願してこの地に小庵を造ったことに始まります。この時代は、幕府のキリスト教禁令が厳しく、長崎在住の中国人にもキリシタンの疑いがかかったため、仏教徒であることを証明するためにも、崇福寺、福済寺、聖福寺など、つぎつぎと唐寺が建てられたといわれます。
日本最古の石橋の眼鏡橋を架設した第二代黙子如定、南画の祖と称される第三代の逸然、さらには明の高僧隠元隆琦禅師が住職として興福寺に滞在されたころには、大きな堂宇が建ち並び、全国から僧や善男善女が参集して禅の一大センターとなりました。(興福寺パンフレットより)



興福寺本堂
大雄宝殿(興福寺本堂)

寛永9年(1632年)第二代黙子如定が建立。中国工匠による純粋の中国見地宇で、氷裂式組子の丸窓、アーチ型の黄檗天井など珍しい。(興福寺パンフレットより)




媽祖廟

媽祖堂

媽祖(まそ)は、航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神。宋代に実在した官吏の娘、黙娘が神となったものであるとされている。黙娘は建隆元年(960年)、福建省興化府の官吏林愿の7女として生まれた。幼少の頃から才気煥発で信仰心も篤かったが、16歳の頃に神通力を得て村人の病を治すなどの奇跡を起こし「通賢霊女」と呼ばれ崇められた。しかし28歳の時に父が海難に遭い行方知れずとなる。これに悲嘆した黙娘は旅立ち、その後、峨嵋山の山頂で仙人に誘われ神となったという伝承が伝わっている。(wikiより)



興福寺のお庭の門

三江会所門(さんこうかいしょもん)県有形文化財

江南・浙江・江西三省出身者が明治初期に設立した集会所。原爆で大破し、門だけ遺存。豚よけの高い敷居が中国風。
(興福寺パンフレットより)


興福寺のお庭の桃
門の中に入ると桃が綺麗に咲いていました。中国の春といえばやはり桃ですね。

興福寺の御朱印
興福寺の御朱印。ダイナミックな字体が素敵です。

image (2)
続いて延命寺へ。本堂が開いていなかったので寺務所の方に開けていただいたところ、お茶を振る舞ってくださいました。「一人で巡っていらっしゃるんですか? まだお若いですよね」と話しかけてくださり、寺社巡りのいいところはこうして寺社にお勤めの方々とお話ができることだなぁとしみじみ思いました。

延命寺は元和2年(1616年)岡山より訪れた龍宣和尚が、当時長崎で流行していた疾病を治す事と港を出入りする多種の船舶の海上安全を祈願する為に建立されました。その後まもなく、長崎奉行直々のお達しで「長崎界隈総祈願所」として宗旨・宗派にこだわらず、今でいう全市民的な盛り上がりを見せて参りました。京都総本山仁和寺との関係も深く、代々住職は、真言宗発展の為多大な貢献をしてきた事もつとに知られております。(延命寺パンフレットより)



本堂では
薬師如来・日天・月天・十二神将
弘法大師・愛染明王・聖観世音菩薩・弁財天
不動明王
が祀られており、「長崎界隈総祈願所」と定められただけあって、様々な仏様が一堂に会しているのですね。
それにしてもお寺をも意のままに動かせるとは、長崎奉行の力がいかに強大だったかを物語っているように思います。

image[1] (2)

そしてお寺の境内に入って驚いたのがこのお地蔵さまたち。こんなにずらっといらっしゃると目を奪われてしまいます。

延命寺の御朱印
延命寺の御朱印。
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

夕星桔梗

Author:夕星桔梗
元日本古代史ゼミ所属。作家志望のアマチュア物書き。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
twitter
Booklog
カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR