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曹操暗殺 三国志外伝@ヒューマントラストシネマ

昨日「曹操暗殺 三国志外伝」を観てきました。玉木宏とヒロインのラブストーリーがメインなのかと思いきや、曹操が全ての映画でした。人間不信なのを実は気にしていたり、関羽への未練を捨てきれずにいたり、でも献帝の家臣とその娘の皇后に生の熊の手を食べさせるという暗黒な一面を見せたり。モーヲタは観るべし。
映像美厨な私も満足できるぐらい映像も凝ってたし、衣装も美しかったです。個人的には丕様が良かったかな。献帝の皇后と密通してたというオリジナル設定には驚いたけど、そそ様との親子愛が描かれていて心温まったな。まあ一筋縄ではいかないんですけどね、この親子。だがそれがいい。

貂蝉とヒロインをオーバーラップさせたり、古代中国が舞台なのにBGMに歌舞伎風の「いよぉ~」という掛け声を混じらせたりと謎な演出もありましたが、従来の冷酷無情な君主像には留まらない、苦悩する一人の人間としての曹操像を描いたという点においては評価できるんじゃないでしょうか。
終盤、銅雀台の階段が二つに開いて曹操が登場するシーンはちょっと無理があるなぁと感じたけど。

見終えた後、ヒロインと玉木宏演じる暗殺者は、曹操を暗殺することへの理念がなくて幸福になりたいという願いしかないからあんなにブレブレなんだろうね、という話を彼氏としてました。
曹操の元で幸せになることを決意したかに見えたヒロインが、最後の最後で曹操を暗殺しようとするのも説得力がなかったし。その曹操が実は玉木宏演じる暗殺者(と表記して名前を覚えようとしてないです)だったという結末ありきな展開はちょっと冷めた。
まあメインは曹操なので、二人のことは割とどうでもいいんですけどね。
結局、子どもを攫って暗殺者養成機関を作ったり、暗殺志望者募ったりしてる献帝の方が曹操よりよっぽど鬼畜だろ、という結論に行き着きました。
あの献帝は他の媒体の三国志に出てくる献帝よりは頑張ってたと思うよ、という彼氏の意見にとりあえず同意しておきます。
でも曹操に剣を突きつけられて情けない声を上げたり、丸腰で精一杯曹操を威嚇しようと大きく腕を広げたりするところは小物感漂ってました笑

まあモーヲタなら見て損はない作品なので、そそ様好きな方はぜひ。


2014.04.06追記:ヒロインの霊唯は、貂蝉の娘という設定だったんですね。父である呂布を曹操に殺されているので、その仇を討つという大義名分が霊唯にはあったというわけですか……。だから貂蝉と霊唯をオーバーラップさせるという手法にも説得力が出てくるんですね。後日再びこの映画を見に行った彼氏からその設定の話を聞いたので、私もまたこの映画を見たくなりました。
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中国の陶芸展@五島美術館

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昨日五島美術館へ中国の陶芸展を見に行ってきました。
何と言っても南宋時代の青磁器が一等美しかったです。
フォルムがまたそれぞれ絶妙なのですよ。優美という言葉がぴったりな、いつまでも眺めていたい優品たちでした。

そして何より、中国の古鏡の展示がとても良かった。実は後期に中国漢代の鏡にまつわる東洋考古学の講義を受けていたので、実物を見ることができて嬉しかったです。
漢代の鏡は造形も質も良いのですが、三国時代に入ると漢代の鏡の劣化コピーが出回るようになってしまった、というお話を思い出しました。
今回は三国時代の鏡が多かったので、いつか漢代の鏡の実物をじっくりまとめて見たいなぁ。
三国志好きなので三国時代の鏡もそれはそれでいいんですけどね。
劣化コピーになってしまった背景には、当時が混乱期だったことも大いに影響しているのでしょう。

で、つい唐代の鏡のポストカードを買ってしまいました。唐代になると絵柄も多様化してきて、ぐっと華やぎますね。右のものには迦陵頻伽が描かれていてそそります。
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東京国立博物館の東洋館には、唐代に作られた二匹の魚の図像の鏡が展示されていたのを思い出しました。
それまでの鏡の持っていた魔除けという意味合いが、純粋に目で見て楽しむものへと変化していったことが伺えます。

でも私としてはやっぱり神仙思想や陰陽思想を反映した漢代の鏡が好きですが。東王公と西王母が描かれていたり、縁には日月を龍が運んでいる像が施されていたりと、とにかくロマンに溢れてるんです。
そういえば五島美術館のミュージアムショップには、銅鏡のレプリカが売られていて、銅鏡フェチとしては欲しかったのですが、お値段七万円でした。
到底手が出ない……。

その後美術館を出て二子玉川でお茶をいただきました。
注文したのはマスカットフレーバーのジャスミンティー。見た目も美しく、香りも豊かで美味しかったです。
注文はしませんでしたが、ケーキも種類豊富で、しかもオリジナリティに富んでいて美味しそうでした。
こんな素敵なカフェが近くにもあればいいのに……。
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長崎市街探訪

長崎に帰省して二日間ほど市街を散策してきました。まずは3月5日、ちょうど寺社巡礼をした合間に街を歩いてきました。アルコア中通りと呼ばれる通りでは、この日まで桃まつりと称して、商店の軒先に雛人形が飾られていて、おひなさま好きの私にとってはまさにぴったりでした。

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まずは岩永梅寿軒
創業天保元年・170年以上の歴史がある和菓子屋さんで、長崎でも老舗中の老舗なのだとか。通りの中でもひときわ目を引くお店です。ここのお菓子は久しく食べていないので、帰省している間に食べられるといいな。

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岩永梅寿軒のおひなさま。立雛も素敵です。私の実家のおひなさまの女雛は平安貴族風に髪を下ろしていて、それを長年見てきたので未だに髪を結っていない女雛が好きです。

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とある骨董屋さんの軒先に飾られていたおひなさま。堂々としていて由緒ありそうな趣です。
他のお店の軒先に飾られていたおひなさまたちを写真に収めはしたものの、ガラスケース越しなので私の体が映り込んでしまっていたり、写りが悪かったりしたのでここに載せるのはこれぐらいにしておきます。

ところでこの通りの古賀人形を扱っていらっしゃるお店にふらっと入ったところ、お店のご主人とお客さんの老婦人が気さくに話しかけてくださって、とても楽しい時間を過ごせました。長崎の素敵な一面を垣間見られたように思います。そんな長崎が大好きです(*´∀`*)

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続いてあの遠藤周作さんも通ったという、由緒ある古本屋さん・大正堂書店へ。
このお店では郷土史にまつわる資料が豊富なのですが、中でもキリシタン関係の本が充実しています。また仏教関連の本が占める割合も多いです。
最近は新古書店が幅を利かせていることもあって、こうした個人経営の古本屋さんが長崎で生き残っていくのはさぞかし大変だとは思いますが、長崎の歴史を未来へ伝える役割も果たしているのでぜひ頑張っていただきたいものです。
私が長崎に住んでいれば通って応援したいところなのですが、そうもいかないので帰省するたびにお邪魔させていただいています。

曹植の詩集
今回大正堂書店さんで購入した本。曹植は玉台新詠に収められている詩を読んで心惹かれたので、ちょうど詩集を探していたところだったのです。曹植の詩がまとまった形で本になっているものはこの本以外にあまりないようで、大正堂書店さんで出会えて良かったなと思います◎

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こちらも大正堂書店さんにて。立雛・次郎左衛門雛・有職雛・古今雛などの写真がフルカラーで掲載されていて、雛人形好きにはたまらない一冊です。ちょうどおひなさまを見て回っていたので、この本に出会えて運命を感じました◇+゜


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そしてその二日後、今度は両親とともに街歩きをしました。カフェでいただいたあんみつ。

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街の片隅にひっそりといらっしゃった弘法大師様。

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両親から万年筆を買ってもらいました。お値段伍萬圓也。消費税と手前のペンケースをお店の人がサービスしてくれるという太っ腹っぷりで、さすが全国からお客さんが訪ねてくるという万年筆専門店だなぁと感じました。

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さっそく万年筆で書いてみました。握り心地もぴったりで、これまで触ったことのある筆記用具の中で文句なしにトップクラスの書き心地です。メモは帰京したら東方書店で探す本。

長崎寺社巡礼 弐

興福寺門

続いて興福寺へ。

興福寺は、国内最初の黄檗禅宗の唐寺でその由来は古く、中国・明の商人が長崎と行き来を始めた頃に渡来した中国人が、1620年ごろ航海安全を祈願してこの地に小庵を造ったことに始まります。この時代は、幕府のキリスト教禁令が厳しく、長崎在住の中国人にもキリシタンの疑いがかかったため、仏教徒であることを証明するためにも、崇福寺、福済寺、聖福寺など、つぎつぎと唐寺が建てられたといわれます。
日本最古の石橋の眼鏡橋を架設した第二代黙子如定、南画の祖と称される第三代の逸然、さらには明の高僧隠元隆琦禅師が住職として興福寺に滞在されたころには、大きな堂宇が建ち並び、全国から僧や善男善女が参集して禅の一大センターとなりました。(興福寺パンフレットより)



興福寺本堂
大雄宝殿(興福寺本堂)

寛永9年(1632年)第二代黙子如定が建立。中国工匠による純粋の中国見地宇で、氷裂式組子の丸窓、アーチ型の黄檗天井など珍しい。(興福寺パンフレットより)




媽祖廟

媽祖堂

媽祖(まそ)は、航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神。宋代に実在した官吏の娘、黙娘が神となったものであるとされている。黙娘は建隆元年(960年)、福建省興化府の官吏林愿の7女として生まれた。幼少の頃から才気煥発で信仰心も篤かったが、16歳の頃に神通力を得て村人の病を治すなどの奇跡を起こし「通賢霊女」と呼ばれ崇められた。しかし28歳の時に父が海難に遭い行方知れずとなる。これに悲嘆した黙娘は旅立ち、その後、峨嵋山の山頂で仙人に誘われ神となったという伝承が伝わっている。(wikiより)



興福寺のお庭の門

三江会所門(さんこうかいしょもん)県有形文化財

江南・浙江・江西三省出身者が明治初期に設立した集会所。原爆で大破し、門だけ遺存。豚よけの高い敷居が中国風。
(興福寺パンフレットより)


興福寺のお庭の桃
門の中に入ると桃が綺麗に咲いていました。中国の春といえばやはり桃ですね。

興福寺の御朱印
興福寺の御朱印。ダイナミックな字体が素敵です。

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続いて延命寺へ。本堂が開いていなかったので寺務所の方に開けていただいたところ、お茶を振る舞ってくださいました。「一人で巡っていらっしゃるんですか? まだお若いですよね」と話しかけてくださり、寺社巡りのいいところはこうして寺社にお勤めの方々とお話ができることだなぁとしみじみ思いました。

延命寺は元和2年(1616年)岡山より訪れた龍宣和尚が、当時長崎で流行していた疾病を治す事と港を出入りする多種の船舶の海上安全を祈願する為に建立されました。その後まもなく、長崎奉行直々のお達しで「長崎界隈総祈願所」として宗旨・宗派にこだわらず、今でいう全市民的な盛り上がりを見せて参りました。京都総本山仁和寺との関係も深く、代々住職は、真言宗発展の為多大な貢献をしてきた事もつとに知られております。(延命寺パンフレットより)



本堂では
薬師如来・日天・月天・十二神将
弘法大師・愛染明王・聖観世音菩薩・弁財天
不動明王
が祀られており、「長崎界隈総祈願所」と定められただけあって、様々な仏様が一堂に会しているのですね。
それにしてもお寺をも意のままに動かせるとは、長崎奉行の力がいかに強大だったかを物語っているように思います。

image[1] (2)

そしてお寺の境内に入って驚いたのがこのお地蔵さまたち。こんなにずらっといらっしゃると目を奪われてしまいます。

延命寺の御朱印
延命寺の御朱印。

長崎寺社巡礼 壱

まずはいつもお世話になっている祇園さんこと八坂神社へ。
ご祭神は素戔嗚尊・奇稲田姫命・八幡大神・大山咋大神。
このたび無事に長崎に帰ってこられたことをご報告しました。

八坂神社


美人稲荷
境内に祀られている櫻姫美人稲荷さま。
とても綺麗なお名前の由来として次のような逸話が残っています。

「ご近所に住むご夫婦が神社参詣中、出産で苦しんでいる狐を見つけました。不憫に思い自宅に抱いて帰り、看病することにしました。
一生懸命介抱してあげますとその甲斐があって無事、出産することが出来ましたので、十分に養生した後、元気になった母狐と子狐をこの境内に戻してあげまし た。
そうすると、その夜ご夫婦の夢枕になんとも美しいお姿のお姫様が現れ、お礼をされました。」 (八坂神社公式HPより)


お稲荷様好きとしてはたまりませんよね。お詣りするたびに身も心も綺麗になれますようにとお祈りしています。

image[5] (2)
いただいた八坂神社の御朱印。


続いてお隣の長崎山 清水寺へ。
実は長年長崎に住んでいながらこのお寺にお詣りしたのはこれが初めてのことで、本堂の堂々とした趣に圧倒されました。九州西国三十三観音霊場二十五番札所であり、2010年に国の重要文化財に指定されたそうです。

清水寺

清水寺は、京都清水寺の僧・慶順によって元和9年(1623年)に開基された。当初は京都の清水寺に倣って木造懸造の舞台をもつ構成だったが、正保3年(1646年)に現在の石垣・石造高欄・石畳の形式に改修された。現・本堂は、寛文8年(1668年)に唐商・何高材が日本人妻の菩提を弔うため、子の兆晋・兆有と共に寄進再建したものである。何高材はこれより前に崇福寺雄宝殿(国宝)も寄進していた。


本堂の建築様式にも中国の影響が多分に見られるとのことで、長崎の諸文化に与えた中国の影響の大きさを改めて感じました。

image[2] (2)
清水寺の御朱印。





新日本風土記 出羽三山

古くから山岳信仰で栄えてきた東北・山形県の霊山、出羽三山。夏には白装束に身を包んだ人たちが、列をなして参拝に訪れる。豊作を祈る山麓の農家、先祖の霊に会いに来る人々、一人前の跡継ぎと認められることを目指す千葉の若者たち。出羽三山信仰は、講という地域ごとの信仰集団で先祖代々伝えられ、東日本一円に息づいている。
出羽三山とは、月山、羽黒山、湯殿山の3つの山の総称。山麓の人々の一年は、この三山への祈りと共にある。雪深い春の月山に登り、山の神を里に降ろし、田の神として迎える人々。夏、参拝に来た講の人たちを、山の幸の精進料理でもてなす山伏の宿・宿坊。稲の収穫が始まる秋、翌年の五穀豊穣を祈る百日間の精進潔斎に入る人。その満願を、地域を挙げて迎える年越しの祭り...。
また山麓には、即身仏という独特の仏様が祭られている。即身仏とは、仏になって人々を救うために、生きながらミイラになったという仏様。この地の、豪雪や冷害に苦しんだ時代の記憶を留め、今も救いを求める人々の篤い信仰を集めている。
厳しい風土から生まれた、豊かな祈りの世界、出羽三山信仰の今を見つめる。

<オムニバス項目(予定)>
●田に神を迎える...雪深い春の月山山頂から山の神を田に迎える、集落挙げての伝統行事。
●即身仏信仰...生きながらミイラとなった仏様・即身仏に救いを求める人々。
●山頂の神社を守る...山頂に泊まり込みで参拝客を受け入れる神職たちの暮らし。
●山伏の宿...参拝者の宿・宿坊を営む山伏の、信仰の里を支えて来た活動。
●一人前になる旅...千葉で息づく、地域で一人前と認められるための若者たちの三山信仰。
●五穀豊穣を祈る百日行...豊作を祈るため百日間祈り続ける人とそれを支える地域の人々

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出羽三山について知ったのはこれが初めてのことで、当初は観る予定がなかったものの、たまたまCMを観て「雪がしんしん、祈りもしんしん」「あの世のようなこの場所で、ぴょんと、生まれ変われたら」というキャッチコピーに心を鷲づかみにされてテレビをつけた。果たして期待は裏切られず、むしろいつにも増して収穫の多い番組構成で観られて良かったとつくづく思う。
さて以下、覚書を頼りに番組を辿り直してみたい。

まず舞台となる出羽三山に込められている意味について。
羽黒山:現世の幸せを祈る
月山:亡くなった人の霊が鎮まる
湯殿山:生まれ変わる
つまりこれらの三山は人の生と死の循環を表しているのだ。
ちなみにご祭神は以下の通り(出羽三山神社公式HPより)
羽黒山-・聖観世音菩薩(仏)・伊氐波神(産土神)・稲倉御魂命(穀物神)
月 山-・阿弥陀如来(仏)・月読神(農耕神)
湯殿山-・大日如来(仏)・大山祇神(山の神)・大己貴命(建国神)・少彦名命(医薬神)

5月、手向(とうげ)地区では山の神を田に迎える神事が行われる。
月山の頂にいらっしゃる神(月読命)を訪ね、田にお迎えするのだ。これを春山代参といい、江戸時代から続くという。参加者は標高1984mにある月山神社に参詣し、神職はそこで月山神社特有の祝詞を神様に捧げる。今回その祝詞を少しだけでも聴くことができて僥倖だった。
そして参加者の方の「今は自分の力でできると思っている人間もいるけども、神様は本当に助けてくれる」というお言葉が印象深かった。神様に対する謙虚な気持ちと感謝の気持ちに心打たれた。
山から下りた参加者は正装した集落の人々に出迎えられる。正装といえば昔は紋付き袴だったというが今はスーツだ。それでも人々の神様をお迎えする気持ちは今も昔も変わらないのだろう。そういう姿が尊いと私は感じる。

続いて湯殿山の本明寺に祀られている即身仏・本明海上人(ほんみょうかいしょうにん)。長らく秘仏とされてきたそうで、9月の法要の時だけ公開されていたらしい。調べてみると、現存する湯殿山系の即身仏としては、最古のものなのだとか。
ネットの海を彷徨っていたら本明海上人即身仏330年を記念して本明寺で行われた神事にまつわる記事を見つけた。去年の6月23日のことだ。
鶴岡の本明寺で柴灯護摩と火渡り 本明海上人即身仏330年で
数百年の時を経て受け継がれてきた信仰の重みがそこにはある。

続いて話は再び月山へ。7/1の山開きに合わせて神職の方々は月山奉行として二ヶ月半山で生活を送る。その大変さは想像に有り余るが、神様の間近で生活するというのは羨ましい気もする。なお山開きの日の11時には開山祭が執り行われ、この時にだけに唱えられる祝詞を拝聴することができるという。神職の方は参拝者の方々の想いを背負っているという気持ちになるとお話されていた。参拝者の方々の信仰あってこそ、神様は神様として敬われるのだなぁと思う。

その参拝者の方々は講と呼ばれる組織に所属し、講ごとに定められた宿坊に泊まるのだという。この宿坊の部屋の奥には出羽三山の神様を祀った祭壇が設けられており、代々山伏が宿坊の主を務めている。講と宿坊との関係は深く、その歴史は江戸時代にまで遡る。宿坊には300年分の宿帳が保管されており、現在まで大切にされている。それは講の人々と宿坊とを繋ぐ大事な財産だからだという。
千葉県市原市の講では、三山に参拝して初めて一人前の男として認められるということで、代々男たちは三山に参拝してきた。その時に纏う白装束には参拝して授けられた朱印がいくつも押されている。亡くなった時に棺に入れてもらうほど大事にされているということに私は感激してしまった。それは信仰がその人の生きた証でもあるということだから。
ちなみに初めて三山に参拝することを初行といい、その時共に参拝した仲間を同行という。同行は仲間が亡くなった時には葬儀を取り持つこともあるというほど絆が深い関係なのだそうだ。ここには人と人を繋ぐものとしての信仰のあり方が窺える。

そして最後に松聖(まつひじり)の百日行のお話。松聖とは翌年の五穀豊穣を祈る百日間の精進潔斎に入る人のこと。肉や魚を絶ち、期間中は刃物も御法度ということで髭を剃ったり髪を切ってはいけない。そして結界を張った部屋で祝詞を朝晩、百日間捧げ続けるのだという。聖というように、その期間は松聖は人ではなく神に近しい存在となるのだろう。
そして大晦日が来ると、松聖は補屋(しつらえや)に入って祝詞を捧げ、五穀の種を撒き、すべて終えれば人へと戻る。
またそこでは山伏の神事も行われ、太陽の使いである烏をモチーフにした烏飛びと、月の使いである兎をモチーフにした兎の神事が執り行われる。その兎が何とも愛らしくて心和んだ。

今回この番組を観て、私の中で信仰の対象でありながらも概念化された存在だった月読命が、リアルの生活の場においてどのように信仰されているかを知るいいきっかけにもなったし、(農耕神という形で現在の人々の生活にも直結しているというのを再確認できたし)、松聖や出羽三山信仰そのものにも興味を惹かれた。もっと詳しく知りたくなったので、文献を探して読んでみようと思う。
プロフィール

夕星桔梗

Author:夕星桔梗
元日本古代史ゼミ所属。作家志望のアマチュア物書き。

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