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【音楽鑑賞】辻井伸行×三浦文彰 究極の協奏曲コンサート@市川文化会館

家族で鑑賞してきました。

曲目は
三浦文彰
・マスネ タイスの瞑想曲
・チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35

辻井伸行
・リスト コンソレーション第3番
・リスト ラ・カンパネラ
・ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18

三浦文彰氏といえば大河ドラマ「真田丸」でOPのソリストを務めていらっしゃる方ですが、納得の腕前でした。
特にチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲では、チャイコフスキーの美しい主題に合わせた、躍動感にあふれながらも品の良さを失わない繊細な演奏にほれぼれしました。
もともと私にとってチャイコフスキーは、クラシックを本格的に聴きはじめたきっかけとなった作曲家でもあるので、今回のヴァイオリン協奏曲はまた格別に聴こえたのでした。
中でも第1楽章の主題と第2楽章の導入部の美しさは、これまでに聴いてきたクラシックのなかでも特筆すべき類の美しさでした。

そして辻井伸行氏の演奏を生で聴くのはこれが2度目。
おなじみのリストにはじまり、確かな技巧を有しながらも繊細さを併せ持つ彼独特の感性が存分に生かされていました。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は彼の十八番ですが、第1楽章では浅田真央選手のソチオリンピックでの演技が脳裏に蘇って思わず涙。
第2楽章の花々を思わせる甘やかな主題、第3楽章のオリエンタルな主題が印象的でした。
第1楽章ばかり聴き慣れていることもあり、第2楽章と第3楽章は新鮮な響きがありました。

辻井伸行氏は紀行のパートで真田丸のメインテーマを演奏していることもあり、アンコールでは両者揃っての真田丸のメインテーマの演奏があるかしらとチラッと期待したのですが、今回は残念ながらなく……。
贅沢な望みでしたね。

それはともかくとても満足度の高いコンサートでした。
やはり生で聴くクラシックはいいですね。
昨年末のベートーヴェンの「運命」と「第九」以来だったので、わりと短いスパンではあったのですが次のコンサートが早くも待ち遠しくなってしまいました。

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ロビーにはふたつのお雛様が。
お雛様好きには嬉しい季節がやってきました。
今年はたくさん観られるといいなぁ。
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【音楽鑑賞】Masakatsu Takagi Concert 2015 Yama Emi

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昨日は先輩からチケットを譲っていただいて、彼氏と高木正勝さんのコンサート「山笑み」へ。

全二日間の公演で、一日目を見にゆかれた先輩が苦言を呈しておられたので、ちょっとひやひやしていたのですが、二日目はといえば……もう、最初から最後までずっと泣いてました。

私は普段音楽を聴いて泣くような人間ではないんですが、このたびばかりは数年前、根津美術館に中世の日本の水墨画を観に行ったときにずっと涙が溢れてきて止まらなかったことを思い出しました。

両者に共通するものが何なのか、私にはわかりませんが、感覚としてはとても近しかったように思います。彼氏もちょうどその時のことを思い出したみたいで(根津美術館の展示も一緒に観に行ったので)「あれといっしょだったよね」と云っていました。

高木さんの音楽はTai Rei Tei Rioまでしか聴いていなかっただけに先入観もなく彼の音楽が耳に入ってくるのと、スクリーンに映し出された数々の映像の効果も相まって、それはそれは涙腺を刺激されたのでした。

中でもすばらしかったのは「山笑み」にふさわしい「おおはる」「かみしゃま」そして「山咲き唄」。
兵庫県の山村に移住して二年になるという高木さんの、生活の中で感じたままの音が表現されているだけでなく、高木さんの周囲の人々(村人のおじいさんやおばあさん)の日々の暮らしまで伝わってくるようでした。
コンサートの中で、高木さんは彼らに少しでも返せるものがあれば、と云っていたのが印象的でした。

私は幼い頃長崎の片隅の田舎で祖母の元で育てられたので、そこに根付いた人々の素朴な信仰(幼い頃はお地蔵様の前を通るたびに手を合わせなさいと祖母に教わっていましたし、一年前ふるさとに帰ったときには水神さまを祀った小さな石碑や人目につかないような祠にも花やお酒が供えられていたことに気づきました)が私の根底に流れていると思うんですが、それはおそらくちょっと昔の人々に共通した意識だったと思うのです。

今回のコンサートを聴いて、その素朴な信仰を目の当たりにしたような懐かしさを思い出してしまったのでしょうね。
村人に教えてもらったという新潟県は佐渡の音頭を演奏するシーンもあり、それは高木さんにとってとても自然なところに行き着いた結果だったのかな、と思いました。
高木さんには音楽をつくる上で宗教的な意識はないそうなのですが、彼の表現したいものはある種の祈りであり、アニミズムなのだと思いました。

そして今回は様々な民族楽器を使用していたこと、そして歌い手の女性(民謡風の歌い手さん)がアイヌ民族の衣装を纏っていたこと(それが何を意味するのか私には判断がつきかねましたが)、それから映像のなかにアフリカの子どもたちを映し出していたことから、高木さんの「人間の原点に帰っていこう」という方向性を垣間見たような気がしました。

それは云い換えてしまえば単なる文明批判なのかもしれませんが、彼の音楽には肩肘張った主張はなにもないんですよね。ごく自然に、肩の力を抜いて一歩ずつ自然へと回帰していく。
それは人間に対する自然ではなくて、自然の一部としての人間へと帰ってゆくのです。それも自然な流れで。
それを彼氏は「文人のようだ」と評していました。(陶淵明の帰去来の辞とか白居易が山村で近所の老人たちにも分かるようにと詩を書いたこととか、蘇軾が東坡肉を作って近所の村人に振る舞ったとかいろいろ話していましたが、門外漢の私はただふむふむと聞くばかりでした)

音楽って理屈で聴くものではないし、信仰もまたしかりだと私は思っているのですが、今回のコンサートはそれらのひとつの形として完成されていたなと感じました。本当にすばらしい「音楽体験」をさせていただいたなと思っています。

【音楽鑑賞】haruka nakamura PIANO ENSEMBLE[音楽のある風景」@sonorium

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ご無沙汰しております。卒論の口頭試問が終わり、大学生活に区切りがついたので久々にブログを更新していきたいと思います。

1月12日、サークルの先輩に誘われて、haruka nakamuraが昨年発表したニューアルバム「音楽のある風景」のリリパに行ってきました。
sonoriumという小さいながらも雰囲気のある会場で、二時間近くに及ぶ「言葉のない世界」をじっくり味わうことができました。
音楽の美しさを体感できる、かけがえのないひと時を過ごせて幸せでした。
haruka nakamuraのライブには前から行ってみたかったので念願が叶った形だったのですが、想像していたよりもずっと素晴らしかったです。
穏やかな曲調のイメージがあったものの、今回のアルバムは前回よりも曲調に波のようなうねりがあって、音楽を聴いていても言葉のない物語の音読を聴いているような心地になりました。
本当に今回聴きに行くことができてよかったです。

先輩ともお会いするのは久しぶりのことで、いつも緊張してしまってうまくお話しできずにいたのですが、今回はライブが始まるよりもだいぶ早い時間に待ち合わせしたので、カフェでゆっくりお話できて嬉しかったです。
会場に向かって歩く途中、haruka nakamuraの感性について話が及び、自分が良いと思っているもの、好きだと感じるものを表現することの難しさと、それでも表現しようとする努力についてお話しているうちに、我が身を振り返ってしまいました。

私は自分の理想の世界を具現化するために小説を書いてきましたが、最近の姿勢はどうかな? と。
ちょっと初心を忘れかけていたかもしれないな、とはっとしました。
私が最近チェックしている石井ゆかりさんの占いに、「(昨日の)射手座は原点に立ち返って夢を描く、みたいな日」とあったのを思い出して、まさにぴったりだったな、とも思いつつ。
もっと自分の表現を極めたい、と決意を新たにした一日でした。

そういうこともあり、何より演奏が素晴らしかったこともあって、ライブ会場でCDを購入して今日は一日聴いているところです。
写真の左に写っているのは、駅構内で見かけたさくら餅風味の入浴剤です。
今書いてる小説のヒロインが桜のイメージなので、つい買ってしまいました。

【音楽鑑賞】ニューイヤー・コンサート ウィーン・フォルクスオーバー交響楽団@サントリーホール

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします◎
今日はサントリーホールのニューイヤーコンサートへ行って来ました。
お正月に生でクラシックを聴くのが憧れだったので、念願叶って大満足です。
ソプラノ歌手アンドレア・ロストさんが急性咽頭炎で急遽出演できなくなり、天羽明恵さんという方が代演なさったのが少々残念でしたが、テノール歌手メルツァード・モンタゼーリさんとの共演は見事の一言でした。
他にもウィーン・フォルクスオーバー・バレエ団のメンバーによる舞踏が見られたりと、目にも楽しい演奏会で至福のひとときを過ごせました。
曲目は主にヨハン・シュトラウス二世がメインで、彼の優雅なワルツやオペレッタの世界を堪能できました。
最後の「美しく青きドナウ」はバレエも合わさって美しく、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートでもおなじみとなっているラデツキー行進曲で晴れやかに締めくくられました。
ルドルフ・ビーブル氏の指揮に合わせて手拍子をしたり、終演後に銀のテープが客席に放たれたりと楽しい演出満載でした。
華やかに幕開けした2015年、今年もいい一年になりますように◎

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【感想】ハチスノイト“Universal Quiet”

Universal QuietUniversal Quiet
(2014/11/13)
ハチスノイト

商品詳細を見る


『すべてが「声」のみで作られた、夢中夢、magdaraのボーカリスト「ハチスノイト」初のソロアルバム。
それは実験的ポップスか、儀式、それとも現代の賛美歌か。』

クラシカル、民俗音楽、ウィスパー、ポエトリーリーディング等を昇華した独自の歌唱解釈で確立された荘厳で圧倒的な歌世界。聴くものに恐ろしいほどの感動を伝える「異端の賛美歌集」、全10曲をリリース。

深層心理療法家の顔を持つハチスノイトの今作の作曲方法は、メロディー・ささやき・吐息・舌音などありとあらゆる「声」を録音、さらに縦横無尽で自由なエレクトロニクス処理を駆使することによって、彼女の故郷・知床を思わせる圧倒的に美しい自然や神聖なアニミズム的世界の音楽を作り上げる。

それは実験的ポップスか、儀式、それとも現代の賛美歌かーー。(Amazon 内容紹介より)



彼女の歌声は夢中夢“イリヤ Ilya”を聴いて知っていたのだけれど、今回のアルバムはOfficial teaserが公開されて以来、とても楽しみにしていた。


声のみで音楽を作るという実験的な試みであるとともに、冒頭のkamuy mintarから伝わってくる神秘性、続いてmatematikaのメルヘンティックなかわいらしさ、そしてsacre du printempsの不穏な趣。
きっと今までに体感したことのない音楽体験が待っているのだろうと、発売日が待ち遠しくてCDを初めて予約した。

そして今日、サイン入りのポストカードと共に届いたCDの封を開け、早速聴いてみるとやはりkamuy mintarの神聖な雰囲気に圧倒された。題名のkamuy mintarとはアイヌ語で「神の遊ぶ庭」という意味とのことだが、知床出身だというハチスノイトの自然の中に息づく神々への敬意がそのまま音楽になったと思われるような曲で、収録作品の中でも特筆すべき存在感を放っている。
おそらくこの曲が入っていなければ、私がこのCDを買うこともなかっただろう。未だ見ぬ知床の自然の奥深くにまで分け入っていくかのような音楽体験に、心が震えた。

続いてsacre du printempsは美しさと狂気が見事に融合した音の響きに恐怖すら覚えた。声と声が重なり合って不協和音を奏で、それらが万華鏡のように変化していく様は歪んでいながらも美しい世界の摂理を感じさせる。
地球の呼吸を音楽にしたら、きっとこんな風になるのではなかろうか。大地の鼓動や潮のうねり、時に穏やかに、時に荒れ狂う風の吐息。ハチスノイトの見ている美しいだけでない、恐ろしい世界を感じた気がした。

Festiは打って変わって愛らしい音の連なりが柔らかい猫の鳴き声のようで、小さな子供時代に感じていた世界に戻ってしまったような錯覚を覚える。暖かくも力強い母の旋律と、甘えるような子供の旋律とが入り混じり、邪気のない空気感を作り出す。無害でありながらも、母と子の閉ざされた世界の中は他者の目を拒む。他者がそこに入ろうとしても、二人の世界は狂ってしまったママゴトにしか見えない。
時折、往来で幼子に幼い口調で話しかけるまだ若い母親の姿を目にするが、あの姿を見てしまった時のような、懐かしさと後ろめたさが入り混じったような気持ちになった。

matematikaの雪が降りしきる童話の世界に迷い込んでしまったような旋律は、いとおしくも切ない。どこかノスタルジーを掻き立てるのだけど、大人になってしまった私は、もう決してその世界には戻れない。昔は絵本の世界に入り込んで遊んでいたはずなのに、今となっては雪が降り積もった村の家々の戸を叩くことはできず、窓の外から暖かな家の明かりを眺めるばかりだ。そんな私の耳に、家の中からかすかに聞こえてくる賛美歌。歌っているのは小さな女の子で、そろそろ村では待降節の準備が始まる――そんなイメージ。

全曲のレビューを書くには少々長くなってしまいそうなのでこの辺にしておくとして(収録作品の後半より前半の方が曲の個性が強く密度が濃いような気がする)、全体的にハチスノイトの世界に引き込まれてしまう曲が多かった。
この冬は何度も何度も繰り返し聴くことになるだろうという予感がする。
そのたびに彼女の描いた世界に迷い込み、深く深く囚われてしまって、そう簡単に抜け出せそうにない。
今まで聴いたポストクラシカルというジャンルのCDの中でも屈指の名盤になりそうだ。
プロフィール

夕星桔梗

Author:夕星桔梗
元日本古代史ゼミ所属。作家志望のアマチュア物書き。

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