スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【映画鑑賞】草原の実験@下高井戸シネマ



シネフィルの妹と昨日ようやく「草原の実験」を観てきた。
前評判が高かっただけに以前から気になっていた作品で、私自身の期待値も高かった。

草原に沈む夕日、少女と父との静かな日常、そして髪をほどく少女のアンニュイな美しさ……。
エキゾチックな音楽に乗せて綴られる映像詩に見入っていたのだが、最後の最後でぶち壊された感が……。
タイトルからしてそういう結末になるだろうと予想はしていたものの、あまりの映像のお粗末さにがっくりきた。
なんなんだ、あのハリウッド映画ばりの雑な映像は……。
(妹もまったく同意見で、曰く「あの映像だけで星一つになりそう」とのこと)

私は被爆地出身ということもあり、原爆を主題にした映画は何本も観てきたが、あれほどとってつけたような原爆の映像ははじめてだった。
戦争を描くにしても明確に反戦のメッセージが伝わってくるわけでもないし、「ミツバチのささやき」のように戦争を匂わせる手法を採るのかなと思っていただけに本当に残念でしょうがない。

映像美に徹するならば、少女のコラージュを活用して“実験”を描き、“実験後”の荒廃した風景だけを実写で映すなど、もっとふさわしい表現があったのではと思ってしまう。
(監督はあくまでも原爆の「美しい」映像を撮りたかったようだが、被爆地に育った人間からしてみれば悪趣味以外のなにものでもない)
台詞を一切入れないというコンセプトや、少女と西洋人風の青年との淡い恋は美しく描けていただけに、最後だけがもったいなかった。

それでもこうして一日経ってからも終盤までの映像が心の中に去来する。
主演女優のエレーナ・アンのものうげな瞳が忘れられないのだ。
良質な雰囲気映画ではあったので、手元に置いておきたい作品になりそうだ。
スポンサーサイト

【映画鑑賞】「ミツバチのささやき」



繰り返される死のイメージと映像詩とでも云うべき断片的なシーンが重なり合って、幻想と現実の境界がぼやけたような美しい映画だった。私は近ごろ夢のように美しい映画を観たいと思っていたので、この映画はまさに当たりだったというわけだ。
どこかもの寂しい情景の連続は、スペイン内戦後という時代背景をそのまま映し出そうとしたものだろうか。灰色がかった空に荒れ果てたような大地が印象に残った。荒涼として美しい風景は、この物語を紡ぐのにこれ以上ない舞台背景だったように感じられる。

物語の主人公はアナ・トレント演じるアナという少女。彼女の視点に沿って物語が展開してゆく。子どもたち特有のあどけなさと、それに裏打ちされた残酷さ。中でもイサベルが猫の首を締め上げようとして怪我をし、傷ついた指先の血を唇に塗るシーンにはぞくっときた。
彼女はかりそめの死を演じてみせるなど、子ども特有の残忍さを滲ませる。それが逆説的に幼い少女の美を体現しているように思えてならなかった。
そして、それまで子どもから見た世界を描いたように抒情的だったシーンの連続は、負傷兵とアナとの出会いによってひとつの物語へと動き出す。中でも負傷兵の死はアナの心に衝撃を与えるに至った。これは子どもと不条理な現実との出会いを見事に象徴するシーンだった。(中でも小道具として使われていた懐中時計がよく効いていた)
その後アナは再び幻想の世界へと迷い込んでいく。フランケンシュタインの精霊と邂逅し、このままアナは死んでしまうのかと思いきや、彼女は生を選び取る。負傷兵とアナとは大人と子ども、男と少女、死と生、現実と幻想といった好対照な存在として描かれている。



そういえば主人公アナを演じるアナ・トレントといえば、クラフトエヴィング商會の『アナ・トレントの鞄』という本を思い出す。内容はうろ覚えなので再度読み返してみたいのだけれど、あいにくと手元にはない。

屍者の帝国 付随メモ

むしろこっちが本題かもしれない、という映画版「屍者の帝国」を鑑賞して考えたことメモ。
映画に関係することだったりしないことだったり。


・魂が欠如した存在が魂を求めるSF作品といえば攻殻機動隊なども筆頭に挙げられるけども、では魂だけの存在が肉体を語る、あるいは肉体と魂を持ちながらもそれらが乖離している人間の内面性に踏み込んだ作品を作ることは可能かどうか。

我々は(少なくとも健康であるならば)普段肉体というものを意識しない。なぜならば肉体というものは病や怪我によって損なわれた場合にのみ意識の俎上に登るものだから。
あるいはセックスや運動や肉体労働という肉体的体験でもなければ、普段意識する人は少ないはず。
肉体と精神が乖離している人間、というのはたとえば私のように精神疾患を抱えている人間は自分の精神状態ばかりに目が行きがち。(というと肉体的表現のように思えるけども慣用句という冗談)というか日常生活の九割を精神に支配されている。
あるいはPSYCHO-PASSなどは人間の精神状態を数値化した世界、というある意味精神に重きを置いたSF作品に仕上がっているので、再度見直すのもいいかも……?
最近だとhttp://www.rbbtoday.com/article/2015/10/30/136638.htmlのニュースが気になるところ。

・古代中国SFがそろそろあってもいいのではないか
 いや既にあるのかもしれないけれど。ネタとしては面白いかな、と。
 読者として観客としてそういうものがあるなら読んでみたいし観てみたい。
 というか四大文明SFアンソロとかあったらください。

・うなじに異物を差し込む行為
攻殻機動隊でももはやおなじみのアレ。やはり首というのは頭に近いこともあってか、映像や画像(文字情報として受け取るもの含む)としてのインパクト性もあるためか、うなじというのは魂にとって重要なポイントなのかもしれない。

・目に見えない魂を緑の光で蛍火のように描くということ
これはいかにも日本っぽい映像表現だなぁと感じた。蛍が人魂にたとえられるようになった例はいつ頃からあるんだろう? 万葉集とかにすでに見られる気がする、という予想。


2015.11.21 追記 朝になってみて冷静に考えたこと。
・うなじの件
うなじに打ち込むっていうのはおそらく脊髄が関係しているのかなぁと思った。

・死者(というか死体)を明確に描いた文学作品として真っ先に浮かぶのは大江健三郎の「死者の奢り」。影響関係があるのかどうかは『屍者の帝国』(原作)を読んでいないので現時点で不明。とはいえ、あれほど克明に死体とそれに向き合う人間の姿を描いた作品は、死者を死体という形で極めて物質的に扱っていることから考えても珍しいのではないか。

以下、「死者の奢り」の冒頭部分の引用。

 死者たちは、褐色色の液に浸って、腕を絡みあい、頭を押しつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている。彼らは淡い褐色の柔軟な皮膚に包まれて、堅固な、馴じみにくい独立感を持ち、おのおの自分の内部に向かって凝縮しながら、しかし執拗に体をすりつけあっている。彼らの体は殆ど認めることができないほどかすかに浮腫を持ち、それが彼らの瞼を硬く閉じた顔を豊かにしている。揮発性の臭気が激しく立ちのぼり、閉ざされた部屋の空気を濃密にする。あらゆる音の響きは、粘つく空気にまといつかれて、重おもしくなり、量感に充ちる。
 死者たちは、厚ぼったく重い声で囁きつづけ、それらの数かずの声は交じりあって聞きとりにくい。時どき、ひっそりとして、彼らの全てが黙りこみ、それからただちに、ざわめきが回復する。ざわめきは苛立たしい緩慢さで盛り上がり、低まり、また急にひっそりする。死者たちの一人が、ゆっくり体を回転させ、肩から易之深みへ沈みこんで行く。硬直した腕だけが暫く液の表面から差し出されており、それから再び彼は静かに浮かびあがって来る。

【感想】屍者の帝国【一周目】

屍者の帝国

※鑑賞時の時点で原作は未読
※ネタバレを含みます




正直なところ、観ていてとても疲れる映画だった。
と云ったらもうちょっと他に云うことはないのか、と笑われるだろうか。
物語の筋書きを主人公とともに追う映画というよりは、アクションや映像(音楽含む)で魅せる映画だったのかなぁというのが端的な感想。
魅せるというよりは、まあ屍の群ればかりが目について気味が悪いと評した方がより一般的かもしれない。完全にゾンビ映画のノリになってしまっている。(と云ってもゾンビ映画を観たことはないのだけれど)

なぜなら話の筋を追っていく努力はエンディングとともに放棄せざるを得なかったから。
フライデーの語りとラストシーンのホームズとともに活躍するワトソンの姿はあまりに乖離しているうえに、魂の在処を求めて行動を共にし、セカイ系でいうところの「セカイよりあなたを選ぶ」という決断をしたワトソンはフライデーをあっけなく捨て去ってしまう。
ただし捨て去るという表現が正しいのかどうか、私には判断がつかない。
こちらのサイト(http://wakatake-topics.com/?p=2680)を参照したところ、

“端的に説明すれば、ワトソンは「真実を知るため(後述)」に自らの体である実験を行ったのですが、結果としてワトソンはそれまでの意思(≒記憶)を失ってしまいました。
一方、結末のシーンで微笑んでいたフライデーはいつしか意思(≒魂)を手に入れていて、原作小説的にはワトソンの失われた意思を探しにいきます。“

と書かれていた。

あまりにエンディングに重要な要素を詰め込みすぎてしまっていて、原作を知らない観客には意図が掴めなかったのでは、と思う。そもそもフライデーの魂を求めて旅をしたはずなのに、「いつしか(つまりいつの間にか)魂を手に入れているフライデー」というのは辻褄が合わない。あの旅は一体何だったのか、ということになってしまう。
こちらのサイト(http://jabuken.blog.fc2.com/blog-entry-912.html)を参照してみると、

それとも生きたまんまフランケンシュタイン博士のデータ消滅させて屍者になったよの意味?
→まあ、そういうことです。
正確にはビクターの手記を消滅させる為に=今回みたく悪いことに使うやつがいるからデータ残さず消す為に、自分の中にビクターの手記を入れて、屍者になりました。
フライデーは、あの書いてたメモが新しい記憶になって、新しい魂のフライデーになりました。エンドロール後に望遠鏡でのぞいてたフライデーは新しい魂のフライデー。新しい魂くれてありがとうワトソンと思ってるから、微笑んでる。

と書かれているのだけれど、これが事実だとすると、あのエンディングではますます意味が伝わらない。エンドロールの台詞と映像だけで物語ることは果たして正しかったのかどうか、と考えざるをえない。

強いて評価するとするなら、スチームパンクな世界観はよく表現されていた、と思うけども、映像化することでかえって伝わらなかったものもたくさんあったと感じた。原作と映画がそれぞれ異なる作品だというのなら、映画はそれ自体で物語が独立(つまり物語として辻褄が合っていて、それがきちんと原作未読の鑑賞者に伝わっている)し、完結しているべきだ。
共に鑑賞した彼氏が「この人たちはストーリーを作りたいんじゃなくて、映像を作りたかったんだろうな」と云っていたのが最もこの映画を的確に示していたと思う。
とはいえやはり原作を読んでみないと何とも云えないところが多いので、後日原作を読んでみることにしたい。

もののけ姫

もののけ姫 [DVD]もののけ姫 [DVD]
(2014/07/16)
ウォルト ディズニー スタジオ ホームエンターテイメント

商品詳細を見る
もののけ姫を初めて見たのは劇場公開時のこと。当時小学一年生だった私は、あまりの迫力に圧倒され、トラウマに限りなく近い衝撃を受けた。
それ以来、テレビでもののけ姫の放映がある度に心を鷲づかみにされ、放映後数日は放心状態になる有様だった。
思えば思想信条の面でこの映画に大きな影響を受けてきた気がする。私の中にあるアニミズム信仰の原点はこの映画にあると云ってもいい。
その後、萩原規子『空色勾玉』『白鳥異伝』『薄紅天女』の勾玉シリーズ、たつみや章の『月神の統べる森で』に始まる月神シリーズを読み、私は完全に神話世界に引き込まれてしまった。

海や山に囲まれた田舎で育ち、春には野イチゴ摘み、秋には栗拾いと自然の恵みを受けながら育ってきたというのも大きい。
海では祖父の採った生ウニを食べ、田では稲刈りの手伝いの途中に畑ねずみやカエルと戯れたものだ。
それから山に住まい畑を荒らすイノシシの恐ろしさ、満潮になった海に取り残されそうになった時の、人知の及ばぬ巨大な自然にただただ命を投げ出すしかない恐ろしさを身に沁みて味わったことも、私がアニミズム信仰へ導かれた要因だろう。

自然の中に生きて初めて分かることがあったのだ。それは今、都会に生きている私の礎石となっているけども、どこか遠く現実離れしたものとなってしまった。自然神を信じてはいても、その存在を肌で感じることは以前ほどないように思う。
都会にあっては、月神、ただそれだけが私の心の奥深くに住まい、私に畏怖の念を抱かせる存在となっている。
昔はもっと多くの神々と触れあっていたのに。

そうして日々を過ごすうちに、私は次第に蛇神に心惹かれるようになり、卒業論文のテーマとして日本書紀崇神天皇段蛇神の大物主神が登場する日本書紀崇神天皇段を選んだけれども、今回もののけ姫を観て、実は私が大物主神を卒業論文の対象に選択したのは、彼が三輪山という山を統べる神であり、そして祟り神でもあるからなのではないかと思い至った。
単に蛇神というなら他にも常陸国風土記に見える夜刀神や、記紀神話の垂仁天皇段に見える肥長比売、肥前国風土記の狭手彦など枚挙に暇がない。
それでも大物主神を選んだのには、神婚伝承というファクターが大きかったのだが、山林の神かつ祟り神という大物主神の属性は、もののけ姫の神々に重なる。無意識というのは不思議なものだ。

私は研究の道に進むことを諦めざるをえなかったけれども、卒業論文に自らの心を賭して向き合いたい。
結局映画の感想というよりは自己披瀝に近い形となってしまったが、今後卒業論文を書く上で心が折れそうになったら、この記事のことを思い出そう。
プロフィール

夕星桔梗

Author:夕星桔梗
元日本古代史ゼミ所属。作家志望のアマチュア物書き。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
twitter
Booklog
カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。