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【感想】2016.03.12 環境/文化史研究会 例会

環境/文化史研究会 例会
松尾恒一氏「長崎における媽祖信仰――近世における清国・長崎の交易と近現代における信仰・祭祀の伝承――」

一般参加してきました。所用があったので拝聴できたのは最初の発表と質疑応答のみだったのですが、こうして無事に参加できてよかったです。
おおまかな流れとしては長崎における華僑の人々と、彼らの同郷組織である唐寺、そしてそこに伝わる媽祖信仰をめぐるお話でした。

昨年帰省の折に崇福(そうふく)寺と興福寺を巡ったこともあり、以前から媽祖信仰が気になっていたのでとても得るものが大きかったです。

なかでも媽祖行列のくだりは面白かったです。唐船で祀られていた媽祖を、船の寄港時のみ唐寺を移す際に行われたのが媽祖行列ですが、今回の発表では『長崎土産』という文献にかなり詳細な行事の様子が書かれていることを知りました。

当時は宗教儀礼としての性格が強かった媽祖行列も、(長崎のみなさんはご存じのように)現代ではランタンフェスティバルのメインイベントとして行われています。現代では女性タレントや女性の有名人を媽祖様に見立てて行列をしていて、男性タレントを起用する皇帝パレードとは対をなす(?)イベントになっています。

ここから信仰が商業ベースで消費されていることが窺えますが、もはや媽祖信仰は形骸化して全面的にショービジネス化が行われており、ここに宗教のあり方の変容の一例を見ることもできるかもしれません。

他にも興味深いお話が多々ありましたが、特に気になったのは唐寺の担った役割でした。唐寺は唐人の葬送だけでなく、キリシタン中国人の流入を恐れたために、彼らが信仰を寄せていた媽祖像のチェック機能を有していたというのです。
というのも台湾では聖母マリア像と媽祖像とが習合した例があるということで、私としては同じく長崎のキリシタンたちの信仰から生まれたマリア観音を想起させて面白いと感じました。
またネットで「媽祖」を調べてみると、東京媽祖廟のページに「天上聖母」という別名を有するとあったのですが、これはかなり聖母マリアを意識したネーミングだなと感じました。
ちなみに媽祖と観音が結びつけられるという北條先生のお話もありました。観音=海難から救うという信仰が古くからあったようです。

あいにくと今回が初参加ということもあり、また一般参加ということもあって気圧されてしまい、質疑応答で発言できなかったのですがこの場を借りて私見を述べておきます。

民俗学と信仰という視点で考えたときに、信仰の多様性を鑑みていく必要があるのかなと思いました。特に長崎は外来文化が根付いた土地でもあるので、民間信仰ひとつ取っても隠れキリシタンの信仰やキリスト教流入以前からあった荒神信仰、水神信仰および土神信仰(私の故郷では集落のあちこちに水神様や土神様と記された小さな碑が点在しています)など諸文化が入り混じっています。

地域的な特色や信仰している集団の違いはもちろんありますが、たとえば島原半島にある島原市ではかつてのキリシタン弾圧のあおりを受けて、キリシタンではないことを内外に知らせるために、現在でも民家では年中正月飾りが戸にかけてあるなどの影響が見られます。

また媽祖信仰は中国由来のものですが、松尾先生のお話のなかに聖母マリアと習合された例が台湾に見られるというものがありました。日本では弾圧されたキリシタンたちがマリア観音を作ってひそかに信仰を守り伝えた例があり、このようにキリスト教が既存の民俗宗教および生活に与えた影響は無視できないと思われます。

世界的な視野の広がりという意味でも、民俗宗教におけるキリスト教の影響という視座は今後の民俗学を考えていく上でも重要になってくるのではないでしょうか。

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帰省の折に撮った崇福寺。

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帰省の折に撮った興福寺。
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「大王御製の意義」@國學院大學

今日は國學院大學にて一般向けの公開講座「大王御製の意義」を拝聴してきました。
万葉集の巻一の巻頭歌である雄略天皇の歌が、なぜそこに置かれたのかという論点で話が進み、日本書紀や古事記から見えてくる雄略天皇の姿に触れながら、「万葉集の論理」に迫るという構成でした。結論は出なかったけど……。
まとめとしては、巻頭歌の特徴である求婚歌に焦点を当て、古事記にも雄略天皇の求婚譚や婚姻譚が載せられていることから、残虐非道な「大悪天皇」として雄略天皇を描く日本書紀とは違う論理が働いているのだろうというお話でした。
それからもう一点の着目点はその求婚歌の意味。そこにはすなわち子孫繁栄や天皇の御代を言祝ぐという意味がこめられていたのです。これが他の天皇御製の歌にも通底する意識なのかどうかというのが新たな問題点として取り上げられ、講座は幕を閉じました。

私は万葉集に関しては全くの素人なんですが、文学性の強い古事記の記述が万葉集にも影響を与えているというのはとても興味深かったです。講師の先生は、あくまでも万葉集は万葉集として読むべきだとおっしゃっていましたが、少なからず影響関係はあったんだなぁと感じました。
万葉集には中国文学の影響もあったと別の場所で聞いたことがあるので、そちらの観点から天皇御製の歌について探っていくのも面白そうだと思います。
そういえば冒頭に「大王」と「大君」の使い分けの問題が取り上げられていました。中国においては厳密に使い分けられるこの言葉は、万葉集では混用することが多いのだとか。それは中国における君主像と日本のそれが異なっているからなのかもしれません。飛鳥時代までは日本では「大君」という言葉はほとんど使われていなかったようですし、そのあたりを調べてみると面白いでしょうね。君主像は宗教にも大きく影響を及ぼしますし。講師の方はあまり深くは触れられませんでしたが。

参加者の方は、学生が多いのかなと思いきや、國學院の卒業生の組織である院友会が母体となっているからか、ご年配の方が圧倒的に多かったです。みなさん意識が高いんだなぁという印象を受けました。
それはともかく、自分の無知を思い知らされた次第ですので勉強頑張ります。
講座が終わった後、國學院の神社に詣でてきました。いやぁ、いい神社ですね、あそこ。構内にあるのにひっそりとしていていい佇まいでした。

自宅の最寄り駅に帰って、いつもお世話になっている近所の古本屋さんにて、続日本紀三巻を購入。四巻が欠けていたのが惜しいけれど、三冊で計900円也。日本古典文学大系の続日本紀は日本古代史ゼミ教授も評価していらしたので買えて良かった◎
國學院の神社がお祀りしている天照大神様に日頃の感謝をお伝えしたのが良かったのかな? 頑張りなさいと云われているような気がします。BhEExw-CUAA6dQ7.jpg

さっそく続日本紀をぺらぺらとめくっていたら、文武天皇四年三月己未に面白い記事があった。道照という僧が亡くなって、日本で初めて火葬を行ったというもの。その僧は玄奘に師事して別れ際に鐺子(なべ)を贈られるんだけど(ちなみにその鐺子を使って煮炊きした料理は万病に効くという)、帰国の船に乗っていたら海神が鐺子を欲して船の行く手を阻むので仕方なく鐺子を海に投げ入れると、船が進み出して日本に帰れたという逸話が乗っていて興味深い。註によると遣唐使船には主神と陰陽師が乗船することになっていたとのことで、当時の宗教観の一端が伝わってくる気がする。
こういうものにばかり惹かれてしまうのはもはや私の性ですね。
プロフィール

夕星桔梗

Author:夕星桔梗
元日本古代史ゼミ所属。作家志望のアマチュア物書き。

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