スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

蛇神にまつわる諸問題 肆



以前禹に関しては「蛇神にまつわる諸問題」で触れた。その禹に関する記述がたまたま図書館で借りてきた本に見られたので記しておく。

禹という字の古い形を見ると「虫」と「九」から成りたっている。この虫は「ヘビ」のこととされ、九のほうは発音を示している。禹、すなわち蛇行するムシ(ヘビ)というイメージは、古代中国のトーテムと関連している。(…)禹の父は鯀(こん)である。この父と子は、中国の伝説では堯と舜に使えたことになっている。当時は、治水こそが政治上の関心事だったのである。「水を治める者、天下を治めるという時代であった。堯と舜のことを「二帝」という。その二帝の治世にあっても、中国大陸の歌仙は庵乱を繰り返していた。帝の命を奉じた鯀は、日夜、治水の事業に没頭した。しかし、彼の心血の最後の一滴まで使いはたしても、治水に成功することはできなかった。
この無念のうちに死んだ鯀の腹のなかから、伝説では禹が生まれたことになっている。しかも鯀の死体は、三年たっても腐らなかった。いぶかしく思った一族の者が、鯀の腹を切りひらくと、そこからは一匹の黄色い龍が現れたという。
こうした伝説は、禹の一族のトーテムを介して読みかえが可能である。彼らは龍(大ヘビ)をトーテムとし、古代中国の中でも最も有力な一つの血族だったのである。その最高の指導者たちが、一般の人と異なる死や出生をもつことは、血族にとっての誇りだった。

動植物をトーテムとする民話は世界各国に見られるが、禹の場合は以前教授がおっしゃっていたように少数民族の間で魚の形をした神だったのが蛇に形を変えて、血族のトーテムとして語られるようになったのではないか。
禹の治水神話については「蛇神にまつわる諸問題」で先述したので省くが、本書に引かれた一文がすべてを物語っているように思う。

龍をトーテムとした一つの血族が、大自然を相手にして果敢に闘争し、治水に成功して、やがて王権の座についた(…)

すなわちここでも征服者と被征服者(龍に代表される河川)がダブっていることに気づかされる。
これもやはり先述したことではあるが、そこにはやはりスサノヲのヤマタノヲロチ退治の神話と共通する構造を見出すことが可能なのではないか。
禹については少数民族の間で魚の形をした神として信仰されていた、と教授から聞きかじったものの、あいにくと文献名を覚えていない。中国の龍蛇信仰に関しても当然日本との関わりは看過できないので今後とも調べていくつもりである。

追記:鯀について「両性具有」とする論文(森 雅子「中国古代の神統記(テオゴニア) : 鯀・禹・啓三代の神話」宗教研究 77(4), 1063-1064, 2004)を見かけたので付記しておく。
両性具有的要素は蛇のもつ特性のひとつでもあるので何ら不思議なことではないが、こうした要素が早くも古代中国において表れているというのは興味深いところである。
スポンサーサイト

蛇神にまつわる諸問題 参



新作オリジナル小説のネタを求めて図書館から借りてきた本の中に肥後和男「八岐の大蛇(抄)」という論文が掲載されていたので読んでみたところ、興味深い説がいくつかあったのでこちらにまとめておくことにする。
最も注目すべきは、やはりスサノヲ=ヤマタノヲロチという関係がこの論文でも明記されていることだった。以下引用してみると、

かくて八坂神も本来は八尺の神として蛇神を祭祀せるものに外ならなかったことが考えられたのであり、これまた八岐の大蛇的性格であったことを示し、その八岐ということが八尺ということと言語上の心理的聯関あることは想わしむるのである。


素戔嗚尊と八岐大蛇とが本来同一の存在であるという解釈は日本書紀纂疏などに始原するのではあるまいか。「此一段の因縁、神道不測の妙用より出づと雖も、其の理に至つては、則、仏教により解説すべし。夫れ大蛇は無明の体也。根本無明といふは是不覚の一念なり。転じて八識と為る。八識各々能変所変あり。故名けて八岐大蛇と曰ふ。素戔嗚尊、八大罪有り。其能作は心に在り。所作は事に在り。能・所を合わせて首尾各八の大蛇となる者也。八箇少女は是れ八正道なり。無明の蔽ふ所と為り其の智を失ふ。是れ大蛇のために呑まるる八女也。山河大地、明暗色空は皆無明の所変第八識の相分なり。故に松栢脊に生ずと曰ふ。酒を飲んで酔睡すとは味欲に耽着して心身を忘るる也。進雄尊一たび少女蛇のために呑まると聞き、忽ち悲心を起し、其苦を救はんと欲す。是れ則悲増菩薩の心也。是より次第に増進し、漸く四十二品の塵労を断ず。故に其蛇を寸斬すと曰ふ。頭より尾に至り最後即一宝剣を得たり。是根本智の喩なり。蛇尾剣有るは無明即法性なり。剣を以て剣を得るは、始覚本覚の義也。素戔、神に至る也」とのべている。これは固より仏教理論を以て説明するものであるが、その根本にあるものは古伝承の精神史的解釈であって、これを人間自覚成立の過程と見るものである。従って大蛇と神明とは結局その根源に於いて同一であり、神が自己の中にある無明を機縁とし、それを克服することによって神明を成就するというものである。


換言すれば素戔嗚尊は先ず八岐大蛇として、その姿を示されたであろうということである。この神の名義がスサブと形容される恐るべき威力にあったとすれば、その威力は具象的には先ず蛇神の姿に於いて示されたであろう。それが軈(やが)て人間的自覚の発達に伴って人格的形姿をすすめて来てついに素戔嗚尊として独立するに至ったと思う。

前回の記事から随分と間が空いてしまったが、以前の記事から鑑みてみてもこの説は妥当であろう。スサノヲ=ヤマタノヲロチという説は定説であると見ていい。
なお、この論文の冒頭には主に滋賀県の藁で蛇をかたどって五穀豊穣を祈願する祭りの事例が多数挙げられているが、残念ながら防疫に関する祈願のものは見当たらなかった。防疫と蛇という関係性をどう説明づければいいのか、未だ決定的な手がかりは得られていないが、今後とも文献調査を続けていくつもりである。

蛇神にまつわる諸問題 弐

今日、斎藤英喜『『新しい「日本神話」の読み方 古事記 成長する神々』を読み終えて、簡単な書評( 斎藤英喜『新しい「日本神話」の読み方 古事記 成長する神々』 を書いたばかりだが、分量および問題性の都合でそこには書けなかった、スサノヲとヤマタノヲロチの問題についてまとめてみようと思う。

まず注目したいのは次のパラグラフだ。

ヤマタノヲロチが氾濫する川のイメージをもつことも指摘されてるが、それは水という恵みをもたらす川と、洪水によって人びとの生活を破壊してしまう川、という自然の威力がもつ二面性を抱え込んだ「自然神」の形象化と理解していいだろう(三浦佑之『古事記談義』)。
(…)『古事記』のヲロチ神話には、天上から来臨した新しい英雄神が、古い土着の水の精霊を超克するプロセスが読みとれよう。ヲロチ退治譚とは、水の精霊を祭ってきた出雲の首長が、高天の原から降ってきたあらたな英雄神に服属する神話ということになるのである(西郷信綱『古事記の世界』)

ここで思い出してほしいのは、蛇神にまつわる諸問題 で書いた「支配者としての神と、被支配者としての神の姿」だ。私の推測はこれで保証されたと云っていいだろう。

では被支配者としての神(=ヤマタノヲロチ)の姿はどのようなものだったのか。斎藤氏は次のように記している。

ヤマタノヲロチの姿を語るアシナヅチは「老父」と呼ばれていた。そこには、土地に伝わる古伝承を語る「古老」のイメージも見てとれる。ヲロチの姿をリアルに語るアシナヅチの言葉には、彼らが語り伝えてきた水蛇神の古伝承の断片を想定することもできよう。
ここからは、出雲の語り手たちが、自らが祭る神の姿を口で語り伝えたオーラルな現場が髣髴としてこないか。自分たちに恵みの水を与えつつ、祭りそこなえば水害という祟りをもたらす、恐ろしい水蛇神の伝承。それを語り伝えた出雲の語りの翁たち……。

こうして神話の古層を読み解いていこうとする斎藤氏の姿勢に、私は感動を覚えるのだ。

続いて斎藤氏は構造主義系の神話学が提唱した「怪物と英雄の両義性」について紹介している。以下、斎藤氏は小松和彦氏の『神々の精神史』から引用している。

スサノヲは山を枯らし、海や川を干上がらせる、凶暴な自然のイメージをもつ。その点は、氾濫する川、洪水という自然の脅威をあらわすヲロチにも共通する。つまり両者はともに「自然」の荒々しい力を体現していたのである。そのとき、高天の原の秩序を破壊して追放されたスサノヲにとって、出雲でのヲロチとの出会いは、じつは鏡に写ったもうひとりの自分との出会いでもあった。スサノヲがヲロチを退治することは、自分の中のもうひとりの自分を否定し、それを超克することを意味したのである。すなわち「英雄は、彼の出自、彼の過去、もう一つの彼の否定として、鬼などの怪物を退治する。退治することによって社会に迎えられ、英雄となる」

この説は、蛇と防疫 で追記した松村武雄氏の説とも大いに重なる部分がある。
またこのロジックで考えていくと、蛇神にまつわる諸問題 で紹介した禹と相柳もまたこうした構図の中で考えていくことができるのではないだろうか。

ようやくいくつもの事項が一つに結びついてきたように思う。これはひとえにここで紹介した諸氏の研究のたまものであり、私は彼らの説く論理の道に導かれているように感じる。未だに大蛇が防疫を祈願して祀られるのはなぜかという問いの明確な答えは出ないが、少しでもそのヒントに近づきつつあるのではないだろうか。

蛇神にまつわる諸問題

「南山之下有不流水其中有 一大蛇九頭一尾不食余物但食唐鬼朝食三千暮食 急々如律令」
この場合の唐鬼とは当時流行していた天然痘を指す。
以前大学の日本古代史ゼミでこの木簡について発表したことがあったが、その時教授が「この一大蛇九頭一尾というのは八岐大蛇のことだ」とおっしゃっていた。八岐、つまり八つの股を持つ=頭が九つあるということらしい。(凍月庵 2014.02.08 )

先日ふと思い立って、袁珂『中国神話伝説大事典』( 大修館書店、1999年)で「南山」の項目を引いてみた。

【南山】
虫を「蛇」といい、蛇を「魚」という地域との境界をなす山。前漢代初期の『山海経』「海外南経」に「南山がその東南にある。この山から先では虫のことを「蛇」といい、蛇のことを「魚」とよぶ。ある本では「南山が匈結国の南東にある」になっている」とあり、西晋代の郭璞(276-324)が「虫を「蛇」といい、蛇を「魚」ということである」と注を付している。

ちなみに郭璞は私が好きな詩人なので、こんなところでお目にかかれて嬉しくなった。
先日ゼミ教授の元に相談に伺ってこの話をしたところ、推古紀に蛇を魚とみる話があるというお話を聞いたので早速日本古典文学全集の日本書紀で確認してみた。

是の年に、河辺臣を(名を闕(もら)せり。)安芸国に遣はして、船を造らしむ。山に至りて船材(ふねのき)を覓(ま)ぐ。便(すなは)ち好(よ)き材を得て、名ざして伐らむとす。時に人有りて曰く、「霹靂(かむとけ)の木なり。伐るべからず」といふ。河辺臣曰く、「其れ雷神(いかづちのかみ)なりと雖(いふと)も、豈(あに)皇(きみ)の命(みこと)に逆らはむや」といひて、多く幣帛(みてぐら)を祭(いはひまつ)りて、人夫(えのたみ)を遣りて伐らしむ。則ち大雨(ひさめ)ふりて、雷電(いかづちなりいなびかり)す。爰(ここ)に河辺臣剣案(つるぎのたかみとりしば)りて曰く、「雷神、人夫を犯すこと無(なか)れ。我が身を傷(やぶ)るべし」といひて、仰ぎて待つ。十余(とたびあまり)霹靂すと雖(いへど)も、河辺臣を犯すこと得ず。即ち少魚(いささけきうを)に化(な)りて、樹の枝(また)に挟れり。即ち魚(うを)を取りて焚(や)く。遂に其の船を修理(つく)りつ。
この年に、河辺臣を[名を欠く]安芸国に遣わして、船を造らせた。山に行って船の用材を探した。良い材木があったので、命じて伐ろうとした。その時ある人が、「雷神の憑りつく木です。伐ってはいけません」と言った。河辺臣は、「雷神といえども、どうして天皇の命令に逆らえよう」と言って、多くの幣帛を供えて祭り、人夫を遣ってその木を伐らせた。すると大雨が降って、雷鳴がとどろき、雷光が走った。そこで河辺臣は剣の柄を握って、「雷神よ、人夫を傷つけるな。我が身を傷つけよ」と言って、空を仰いで待った。十回あまり落雷したが、河辺臣を傷つけることはできなかった。そして小さな魚になって、樹の枝の間に挟まった。そこでその魚を取って焼いた。こうしてついにその船を造りあげた。

また先生のお話によれば、中国の伝説に出てくる皇帝・禹は元々少数民族のイ族で信仰されていた魚の形をした神だったのだとか。
禹といえば、数々の治水伝承が残されているけども、その中でも特に注目すべきなのが九頭の蛇である相柳を退治する話。以下、伊藤清司『中国の神話・伝説』(東方書店、1996年)より引用する。

共工の家来で相繇(そうよう)または相柳というものは頭が九つで、蛇の体をしており、とぐろを巻いている。食べ物は九つの土地で摂る。吐き出したもの、あるいは居すわっている場所はただちに沼沢になる。その水は苦く、そこには獣たちはまったく棲めない。
禹は大洪水を防ぎ、相繇を謀殺したが、流れ出した血は腥く、そこには穀物が育たない。また、その場所は水が多く、住むことができないので、禹はそこを土で三尋(約五メートル)の深さまで埋めたが、三度とも土地が陥没したので、池にしてしまった。
【作者不詳『山海経』大荒北経】

この伝説を読んで真っ先に思い浮かべるのは、やはりスサノヲによる八岐大蛇の退治伝承であろう。

「彼の目は、赤かがちの如くして、身一つに八つの頭・八つの尾有り。亦、其の身に蘿(ひかげ)と檜(ひ)・椙(すぎ)と生ひ、其の長さは谿(たに)八谷(やたに)・峡八尾(をやを)に渡りて、其の腹を見れば悉(ことごと)く常に血(ちあ)え爛れたり」
「その眼は赤かがちのようで、一つの身体に八つの頭と八つの尾があります。またその身体には日陰蔓と檜・杉が生え、その長さは谷八つ、山八つにわたっていて、その腹を見ると、どこにもみないつも血が流れ、ただれています」
【新編古典文学全集 古事記】


三浦佑之『口語訳古事記 神代篇』(文春文庫、2006年)の注釈によれば、

以下のヲロチの描写は肥の河(斐伊川)とその両岸の姿を写したものと考えられる(八つの頭と尾はいくつにも分かれた河口や支流のさまを、体に生えたコケや木は両岸のさまを、谷や尾根を渡る姿は蛇行する斐伊川の流れを、爛れて流れる血は崩れ落ちた両岸の山肌のさまを表し、赤い目はその妖怪性を強調する)。つまり、このヲロチは水の神として肥の川を象徴する自然神なのである。

とのこと。
相柳もまたそうした自然神であったと考えられる。それにしても元々魚の姿、つまり蛇神であった禹が、蛇の姿をした自然神を殺してしまうというのは面白い。そこには支配者としての神と、被支配者としての神の姿があるのだろう。この被支配者としての神の姿を追ってみるのも興味深いかもしれない。
それにしてもまた八岐大蛇に行き着いてしまった。蛇から離れようとしても離れられない、そんな蛇好きとしての業を思い知らされてしまう。蛇信仰の世界はまだまだ奥深い。

蛇と防疫

先月28日、千葉県南房総市和田町仁我浦で民俗行事網つりが行われたことを知る。稲わらでつくった大蛇を飾り、疫病除け・魔除けを祈願する行事だという。
またその後栃木県小山市で間々田のジャガマイタという民俗行事が行われていることを知る。この行事では五穀豊穣・災害消除・悪疫退散を祈願するという。
さらに千葉県匝瑳市時曽根で時曽根の大蛇まつりという神事が行われていることを知る。この行事では家内安全・無病息災・悪魔退散などを祈願するとのこと。
上記三つの祭りに共通するのは大蛇を祀っていること、そして疫病除けを祈願しているという点。
大蛇と疫病との関係が気になり、考えてみることにした。

そこでまず頭に思い浮かんだのは奈良時代の二条大路木簡だった。
「南山之下有不流水其中有 一大蛇九頭一尾不食余物但食唐鬼朝食三千暮食 急々如律令」
この場合の唐鬼とは当時流行していた天然痘を指す。大蛇に疫病除けを祈願するというファクターは重なっている。
以前大学の日本古代史ゼミでこの木簡について発表したことがあったが、その時教授が「この一大蛇九頭一尾というのは八岐大蛇のことだ」とおっしゃっていた。八岐、つまり八つの股を持つ=頭が九つあるということらしい。
だが八岐大蛇は元々水神であり、疫病除けの神ではない。では疫病除けと大蛇との関係はどこから来たのだろうか。
そこで考えたのが八岐大蛇と関わりの深い、防疫神としてのスサノヲの存在だった。茅の輪くぐりに見られるように、スサノヲは防疫神の性格を持っていたと考えられる。中世以降になるとスサノヲは牛頭天王と習合し、ますますその性格を強めていく。
スサノヲの八岐大蛇退治の場面がクローズアップされ、やがて八岐大蛇だけが残ったために大蛇に疫病除けを祈願するようになったのではないか。
また間々田のジャガマイタの起源とされる八大竜王の中には、和修吉(ヴァースキ)という九頭龍が存在する。八大竜王は雨乞いの神だというが、なぜそこから疫病除けを祈願するようになったのか。和修吉と八岐大蛇とがリンクしたと考えることはできないだろうか。これらは推測に過ぎないので、もっと詳しく調べてみたい。

2014.04.06追記
もう何年も前に読んだ松村武雄『日本神話の研究』に、八岐大蛇とスサノヲが重なっているという指摘がなされていたことを思い出したので、書いておく。

(…)八岐大蛇の本質的な素性は、水・農耕に関係の深い一つの神であつた。そして我が素尊は、邪悪な害物としての大蛇を艾除する人文的英雄である以前には、さうした神としての大蛇の一つのdoubleであつたとすべきこと、切言すれば、水・大地の生成力としての畏き神八岐大蛇が素尊の相そのものであつたとすべきこと(…)――松村武雄『日本神話の研究』第三巻、培風館、1955年、p216

このオーバーラップは、スサノヲと八岐大蛇とが分離して、八岐大蛇がスサノヲに退治されるまでを指しているけども、その後の両者の関係も切っても切れないものだったのではないだろうか。
プロフィール

夕星桔梗

Author:夕星桔梗
元日本古代史ゼミ所属。作家志望のアマチュア物書き。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
twitter
Booklog
カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。